初夏の長雨、梅雨が明ければ、いよいよ本格的な夏が来る。
ところで、日本人の大部分は、
明治の頃となるまで、あんまり“泳ぎ”を得手としなかった。
夏の娯楽だなんてとんでもない、
大の大人でも、肌脱ぎしていても はしたなくはない男の人でも、
漁師に船頭さん、材木を堀に浮かべて扱う木場の職人やらでもない限り、
川や海にわざわざ入るという風習はなかったそうで。
よって深いところへ落っこちたなら、
着物のせいじゃあなくカナヅチだったことが原因で、
そのまま溺れてしまうことも多々あったとか。
暑い盛りに水辺へ駆け込み、
くるぶしや膝まで浸かって涼をとるなんてのは年端の行かぬ子供のすること。
大人の涼み方といえば、せいぜいタライに水を張っての行水がいいところ。
沐浴も小まめにするし、大衆浴場での湯浴みも平気な国民なのにと思うと、
ちょっと妙な話ですよね。
やはり泳ぐのには適さない着物の形が悪かったのでしょかねぇ。
海女さんが着ていたような、
れいざあ社の水泳用浴衣とか無かったんだろか。(おいおい)
なので、徳のある修験者と誉れも高かった久米の仙人が、
沢で洗濯をしていた娘さんのふくらはぎの瑞々しさを目にし、
ころっと参って雲から落ちたという逸話も、
それが実在実話だったなら、
不純な気持ちが催したからじゃあなく、
思いがけなく目にしたものへ、単に吃驚したせいなのかも知れませぬ。
……白々しいですか?
◇ ◇ ◇
梅雨明けにはもう一息という観のある頃合いの昼下がり。
玉砂利が擦り切れたか、土が出ていたところに溜まった水たまりへ、
ところどこに明るさのムラがある曇天を見上げる、
どこか憂鬱そうなお顔を映していたのは誰あろう、
背中に提げた麦ワラ帽子が旗印の、岡っ引きのルフィ親分ではないかいな。
“参ったなぁ…。”
ここ数日降り続いてた雨も、今日は朝から止んでいる。
雲を敷き詰めた空にしたって、ほのかに明るく、
時折 薄日が差す気配もあるほどで、
このまま雲が晴れたなら、
一気に夏催いのお天気になるのかも…という雰囲気さえあるってのに。
いかにも“わんぱく小僧がそのまま大きくなってる途中です”と思わせるよな、
屈託のないまんまの童顔を、しょっぱそうに歪めているのはどうしてかといやぁ。
「…。」
紺股引(パッチ)を履くのは着物をはしょって動きやすくしているがため。
その上へ足袋に草履と、足元を厳重な重装備にしているのは、
舗装なんてされてない小石だ砂利だの多い道を駆け回るお勤めだから。
とはいえ、そのせいでか少々感覚が鈍っていたらしく。
ともすりゃ習慣になってるお参り、
こちらのシモツキ神社へとやって来たその帰り。
お堂の前の石畳の端っこに躓いた拍子に、
気づかぬ間に傷んでいたのだろう、草履の鼻緒がぶつっと切れてのつんのめり。
大きな怪我こそしなかったものの、
「む〜ん。」
お堂を巡る欄干つきの回廊の端っこ。
そこへと上がる階(きざはし)に腰掛けて、
何とも複雑そうなお顔になって自分の手元を見下ろしておいで。
この時代だし、ましてやまだまだ子供のような気概の抜けぬ親分のこと。
そんな事情で草履が履けなくなったというなら、
ま・いっかなんて割り切っての思い切りよく、
足袋も脱いでの裸足になって、雨上がりの道をばしゃばしゃと帰りゃあいいところ。
鼻緒が切れたの手にでも提げてりゃあ、
ああそうかと見かけた人も事情を判ってくれようし、
何だったらおいらがすげてあげましょか?と、
手を貸してくれる人もいるかも知れぬ。
「〜〜〜。」
お? そんな喩えへ、親分の眉がひくひくっと動いたのはどういう訳かと言いますと。
「どういう訳なんだい?」
「どわ、吃驚したっ。」
擦り切れてたって一応は細かい砂利が敷かれた境内。
それに、下駄ばきの彼なのだから足音くらいはしたろうに。
そんな気配もないままのいきなり、間近から声を掛けられたことで、
親分さんがわあっと振り上げた手から、ぽーんっと飛んでったものがあり。
宙に弧をば描いての、
あしたの天気は何じゃらほいという占いのように飛んでったのは かくあらん。
「…おや。」
「〜〜〜、なんだよっ。////////」
鼻緒自体は無事なんだったら、
草履の裏から手拭いを裂いて搓った紐を通し、
そこをすげてあった跡、
親指の股が入る鼻緒の真ん中のところをキュッと結んで留めれば、
仮の手当ては完了…の筈が。
どう結んでも“立て結び”になるその上に、
手拭いの紐が太すぎたのか、
ごろんとした団子が都合3つほど縦に積み上がっていて。
「ここに指の股ァ入れるのは痛ェかもしんねぇぞ? 親分。」
「うっせぇなっ!」
いんだよ、どうせ裏っかわだって失敗してんだしと、
余計なことを言ったもんだから。
「裏?」
「…っ。//////」
引っ繰り返して見てみれば、
裏にもまた、でっかい結び玉が盛り上がってての、
これで歩いたら足裏のツボにさぞかし効きそうな代物と化しており。
「〜〜〜。」
笑っちゃあいかんいかんと必死にこらえる坊様は、
だが、そういうことが いなせにこなせるような性分ではないらしく、
大きな手のひらで口元を覆うのが精一杯。そして、
「う〜。////////」
思わぬところで、しかもしかも思わぬ相手へ恥をかいてしまったと。
麦ワラの親分さんの側は、
もうもうゆで蛸だっても裸足で逃げてくほどの、真っ赤っ赤になっておいでであり。
「そうよそれよ。」
「何がだよっ。///////」
「なんでまた、裸足のまんまでお帰りなさらねんで?」
一応は捕り方、岡っ引きというお立場の親分さんが相手だからと、
ですます使った丁寧な口利きをする、雲水姿のお坊様。
ゾロという名のまだまだ若い男の僧侶で、
宗派も怪しいし読経を嗜むところもついぞ見たことがないから、
身なりや形ばかりの僧、所謂ぼろんじだろうと思われて。
ただ、それにしては強かそうな面構えといい、
常に威勢がよくての豪放磊落、
どんな相手へも腰が引けてるところを見たことがない威風威容といい、
ただの流れ者の乞食僧侶だとは思えぬ節も多々あって。
今だってそうだが、このやんちゃな親分さんとは特に縁の多いお坊様。
捕り物の最中の難儀に居合わせての、
助けてもらったことも何度も何度もあったりし。
そんな関わりが重なってのこと、今じゃあ、随分と親しげな口を利き合う間柄。
今も…随分と慣れ慣れしいというか、
踏み込んだというか分け入ったというかな事情を訊いた坊様へ、
「…だってよ。////////」
まだまだふかふかな頬、真っ赤にしたまま口ごもった親分が、
細っこい肩をなお細く萎えさせて、ちらりと視線を流した先には、
この神社の看板でもある枝垂れ梅の樹。
今は青々とした葉が茂り始めて入るその合間に、ちらりんと覗く赤いものがあり。
「お…。」
「〜。///////」
神出鬼没とは正にこのこと、
捕り手も少ない取り締まりの家捜しなんぞで、
相手も破れかぶれになるものか、大刀振りかぶっての切りかかり、
あはや危機一髪というよな危ないところへ来合わせる、妙な奇縁が立て続き。
そんなして何かと助けてもらってる坊様に、
だけどもこっちからはなかなか見つけらんないことへ焦れてた親分へ、
それじゃあこうしましょうやと、
ゾロの側から言い出したのが、あの梅の木へのこよりの合図。
何か御用があるときは、
白い花がたわわに咲くあの梅の樹へ、赤いこよりを巻くといい。
そんな約束をしたその樹へと、
ついの先程、そのこよりを巻いて来たばかりだってのに。
まさかその直後に、しかもこの境内なんてな至近で、
こうして顔を合わすとは思わなんだから余計に。
何と言いますか、照れ臭くってしょうがない親分だったらしくって。
しかもしかも、
「いつも思わぬとっから出て来るからよ。草履がないんじゃ…。」
裸足でばちゃばちゃ翔ってるところへ、お声を掛けられるのはちょっと困る。
急ぎなら またにしよっかなんて、
そのままどっか行ってしまったこともあったので、
これは困った、早く直そうと頑張ったのに、
「〜〜〜。///////」
「そっか、そだったか。」
そんな細やかなところまでは、すまねぇ察しがつかねくてと、
大胆不敵で豪快だからこそ惚れ惚れすんのに、でもあの、なんだ、
そんな坊様が、照れ臭そうにごしごしと、
骨張った大きな手でいが栗頭を掻き掻き、朴訥と謝ってくれる殊勝な姿がまた、
「…っ。///////」
直訳するなら、
“あ、やばい。//////// なんか、ここんとこがギュウってした。”
天丼20杯喰おうと、冷やしうどん30杯喰おうと、
腹も胸も何ともないほど、丈夫で頑健だった筈なのにね。
平べったい胸元の奥のほう。
何かが降りてっての きゅきゅうっと、
腹に間近いどれかの肝の緒を、引き絞ってしまったような気がしたが。
あとでチョッパーせんせえに聞いたらば、
『…それは俺には管轄外だから判んねーぞ、このやろが。/////////』
何でだか真っ赤になっての“やんやんvv”と、
桜の花びらみたいな跡が残るほど、蹄の先でぱしぱしと叩かれてしまったのは、
まま、今はさておき。(笑)
「しまったなあ、俺も実はそういうのが苦手でよ。」
何か急ぎの用があってのこよりだったのかい?
そうじゃない? だったら此処で四方山話をしてってもいんだろうけど。
「…。」
でもここは、梅の花の季節じゃなくたって、散歩ついでの参拝に来る人が多いから。
雨も上がったことだしと、やって来る人もこれから増えよう。
それを示唆するかのように、
雲の切れ間からだろう、くっきりした陽が射し始めてもおり。
若葉に雨露をたたえた茂みのあちこちが、ちかりきらりと輝いて綺麗。
「………よっし。」
何を思い立ったのか、唐突にそんな声を上げた坊様、
荒縄で背中へ斜めにくくりつけてた長い包みを取りのけて、
そいつを小脇に抱えると、
親分が腰掛けてた階の下、少しほど腰をかがめてのその背中を向けて見せ、
「ほれ。」
「?」
「長屋までおぶってやりましょう。」
「…☆」
な、ななななんな、何を言い出すんだよっと、
相当うろたえてしまった親分だったが、
「〜〜〜。/////////」
すすけて粗末な衣紋をまとっているものの、
下に隠れた肢体がいかに屈強で筋骨隆々としている坊様か、
実は…既に知ってもおり。
何かと助けていただいたあの時やこの時などなどに、
おぶわれもしたし抱きとめてもらいもしたので、
その堅さと逞しさは…知ってるその上、ちょこっと気に入りでもあって。
“…へ、変な意味からじゃねぇぞ?
俺もこんくらいがっつりしてたらなって、そう思うからであってだなっ。”
誰への どういう言い訳してますか、親分さん。(苦笑)
「ほれ。話は道々にでも出来るだろう。」
それとも、親分さんともあろうお方が、
俺なんぞのぼろんじにおぶわれて町を行くのは、
カッコ悪くて恥ずかしいかね?
そんな風に付け足され、それもそうかと赤くなるどころか、
「? なんでだ?」
理解が追っつかないでいるところが、何とも屈託がないったらありゃしない。
何でもねぇさねと誤魔化すと、さぁさお乗りなと促して、
「…。//////////」
小さな重みがおずおずと、恥ずかしそうにまたがって来るのを受け止めてやり。
そぉれと立ち上がるのも軽々と、
「さぁて、それじゃあのんびり帰りますかね。」
おいらも、何だ、
町方のお人と仲がいいってのが大っぴらになると、
仲間内から妙なうたぐりされかねねぇから、
出来るだけ路地づたいに帰りますが勘弁してくだせぇましと。
本当はそんなことなんて気にしたことなぞないくせに、
さも こっちの都合のように言い、
“でもま、ゆっくりと遠回りはする言い訳にはなりまさぁ。”
顔を正面から見合わすことが出来ないのが唯一の難だが、
きゅうと肩口に掴まる手の、思いがけなくも柔らかな感触だとか、
今になって気づけたのは嬉しいことよと。
おやおや、お坊様の側からだって、十分過ぎるくらいの脈ありなようで。
湿気や温気のむんと垂れ込める中、
出来るだけ涼しかろう日陰を選んでのひょいひょいと、
大きい割に気配の薄い影が、跳ねるように翔ってったの。
果たしてどのくらいの人らが気づいたものか。
川へと流し忘れの笹だろか、
かすかに起こった風に擽られ、
さわり小さく揺れた、とある午後のことでした。
〜Fine〜 08.7.11.
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ひゃっくり様
『ルフィ親分、お坊様と二人きりでヲトメなデートを楽しむvv』
*どもども、楽しいリクエストをありがとうございましたvv
一進一退の、ウチでは一番歯痒いお二人。
自覚がないのはやっぱり双方ともにだったらしく、
坊様のほうも、自分のい抱く想いに気づいてないようでございます。
何でか知んないけど、ついつい構いたくなる かわい子ちゃんvv
こういう恋はもっと深まに嵌まってから自覚して、
二進三進も行かなくなるものですんで、
いっそそっちへ まっしぐらしてもらうのもいいかなぁとか、
善からぬことをば考えてる今日このごろでございますvv


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